心理学の「自己一致」とは?他人も自分も受け入れる魔法の言葉を唱えよう!

他人の些細な指摘にカッとなって怒鳴ってしまったり、

ショックを受けたことはありませんか?

他人に何か、自分にまつわることを指摘されて、

感情が揺さぶられた経験があれば、思い出してみてください。

もしかしてその時あなたは、「自己一致」していなかったのかもしれません。

今日は心理学の「自己一致」という概念のご説明と

その自己一致をサポートして、あなたの頑なになってしまっている心をフッと軽くしてくれる

魔法の言葉についてご紹介します。

それでは早速一緒に勉強していきましょう!

どうして反応してしまうの?

私たちが感情的に反応してしまう理由はズバリ、

「指摘されたことが事実であると認めたくないから」というケースが多いです。

自分の中でのあるべき姿や、こうありたいという理想に、

反したことを言われると、私たちは反応してしまいがちなのです。

例えば私は昔、お弁当に入っていた手羽先の軟骨の部分を食べていたら

友人に「そんな所まで食べるの、みっともなくない?」と言われ、

恥ずかしさと苛立ちで顔が真っ赤になって、何も言えなくなってしまった経験があります。

当時は実際に裕福ではなかったので、

「貧乏なのは恥ずかしいこと」「貧乏くさく見られたくない」という気持ちが心の中にあって、

「みっともない」という言葉に反応してしまったんだと思います。

あなたにも同じように、他人からの指摘に反応してしまった経験はないでしょうか?

その時、あなたはどうしてその言葉に反応してしまったのでしょう?

それは、自分の中の「あるべき姿」と反していたからでは無いでしょうか?

相手の指摘を受け入れる魔法の言葉

自分がどう思っているかは別として、

他人から指摘されるというのは現実的にそのように見えているということです。

ではそんな時に、どうすれば反応せずに済むのでしょうか。

私の手羽先の例で言うと、(なんとも庶民的な例えで恐縮ですが)

相手からすると「貧乏臭い」「みっともない」と思ったからその発言に至ったわけです。

そういった、自分とは違う相手の価値観や考え方を突き付けられた時に

反応せずに心穏やかでいられる魔法の言葉があります。

それが、

「そういう考え方もあるかもしれないなぁ」

という言葉です。

アレンジバージョンとして、

「そうかもしれないね」

「そういう見方も確かにあるね」

「そういう部分もあるというのは正しいかもしれないね」などがあります。

受け入れがたい事実を、「かもしれない」というオブラートに包んで受け入れるということです。

この言葉を使うとどうなるの?

相手の指摘や自分とは違う価値観に対して

「そうかもしれないね」「そういう考え方もあるかもしれないね」と言葉にするということは、

相手の発言を受け入れ、同時にそんな自分のことも受け入れることになるのです。  

例えば私の例では、「食べ物を粗末にするな」「よく食べる子は可愛い」と言われて育ってきたので、

手羽先の骨についている軟骨や身まで、綺麗に食べるのは当たり前の習慣でした。

なので、あの時の私がこの魔法の言葉を知っていれば、

「そう見えるかもしれないよね。でも、食べ物を無駄にするのが嫌なんだよね。」と、

相手の発言を受け入れつつ、冷静に対応できたと思うのですが、

当時は「貧乏くさく見えるみっともない自分」という部分を受け入れられずに、感情的に反応してしまいました。

それは、「実際に自分が周りに比べて裕福ではない」と認識しているにも関わらず、

その事実を認めたくないという点で、「自己一致が出来ていない」状態だったと言えるでしょう。

「食べ物を粗末にしないということは、貧乏臭いと思う人もいるかもしれないな」と、

言葉に出して受け入れるということで、

「貧乏臭く見えているかもしれない自分」を受け入れることが出来るのです。

そんな自分を受け入れられた時にまたひとつ、

私の「自己一致」の幅は広がったということになります。

そう、この魔法の言葉は、私たちの「自己一致」の幅を広げてくれる言葉でもあるのです。

「自己一致」とは?

心理学用語である「自己一致」とは、

アメリカの心理学者カール・ロジャーズが提唱した「来談者中心療法」において重要視されている概念で、

「自分自身のありのままの感情を受容している状態」のことです。

自己概念(理想としている、あるべき姿)と経験的自己(現実的な、ありのままの姿)が

一致している領域・重なりあっている領域が多ければ多いほど、自己一致していると言えます。

少し分かりにくいですよね。

簡単に言うと、「こうでありたい自分」と「実際にこうである自分」の差が、

小さければ小さいほど、「自己一致」出来ている状態ということです。

もっと平たく言うと、「感じていることや考えていること、その言動や態度が一致していること」とも言えます。

ロジャーズは自身のカウンセリング理論の中で、

カウンセラーは自己一致していなければならないと説きました。

例えば、クライエントの悩みを聞きながら、

「この人は間違っているな」「その考えはおかしいな」と心の中では思いながら、

「カウンセラーは相手に共感しなければいけない」という理想だけを掲げて

口先だけで「そうですよね、分かります」と言っていたら、

これは自己一致していないという状態です。

そしてこの自己一致は、カウンセラーだけではなくすべての人にとって非常に重要な概念です。

自己一致のその他の例

もちろん、自己一致するために、相手に「その考え方は間違っていると思います」と

正面からぶつけにいくことが自己一致となるわけではありません。

あくまで、自分の認識と言動に矛盾がないことが大切なのです。

「そういう考え方もあるかもしれないね」とまずは受け入れる姿勢を取ることで、

「それは違う」という自分の中での矛盾を解消することが出来ます。

また、自分で認識している現実と、他人が認識している現実の違い(矛盾)に対しても、

同じように考えることができます。

例えば、あなたは自分が責任感のある人間だと思っていて、

日々そのように意識して振舞っているのにも関わらず、

他人から「あなたって無責任だよね」と言われたとします。

それは、理由はどうであれその相手からはあなたがそう見えているということです。

そんな時に、カッとなって反応してしまうのであれば

あなたは「そう見えている自分」、

すなわち「現実的な自分」(専門用語では「経験的自己」と呼びます)を、

受け入れられずに否定している状態なのです。

こんな時、魔法の言葉を使ってみましょう。

「そういう見方もあるかもしれないね」

これだけで、あなたの「自己一致」の幅が広がったことになるのです。

それだけで、感情的に反応せずに冷静に相手の言い分を聞くということに繋がるはずです。

もう1つ、別の例も見てみましょう。

例えばあなたには大嫌いな上司がいて、常日頃から「あの人は人間として最低だ!」と思っているとします。

しかしそんな上司の良い一面を見た時に、

「いやいやあんな良い人ぶったって、あいつは最低の人間だから」と、

素直にその好ましい側面を受け入れられない状態も、

自己一致できていない状態と言えます。

魔法の言葉「そういう側面もあるかもしれないな」と唱えることで、

あの上司はこんな短所もあるが、あんな長所もある、と受け入れられている状態になるのです。

自分の感情に1つずつ触れ、受け入れる

「自己一致」という概念は少し難しいかもしれませんが、

自分の感情に嘘をつくことなく、ありのままの自分の感情や考え方を

自分自身が認識し、正直に受け入れるということです。

純粋性とも言われます。

カウンセリングや内省を進める過程で、自分との対話をしっかりとして過去と向き合った時に

自分の中の蓋をしていた感情がドッと溢れて出てくることがあります。

その時に、

「自分の中にこんな感情があったんだ」、

「本当は自分はこんな風に感じていたんだ」と、

受け入れていく姿勢がとても重要になります。

例えば、「自分は本当は寂しかったんだ」、

「自分は本当はしっかりと愛されていたんだ」、

「自分の怒りはこんなことが原因だったんだ」、

このように、ずっと見ないふりをしていた自分の感情や認識に気付いた時に、

「こんなことを考えてはいけない」「こんな風に感じるなんて最低だ」等と、

その感情や考えを否定するのではなく、

反対に、自分の中に強くある理想像やあるべきという概念を否定するのでもなく、

「そういう考え方も一理あるよな」「そんな風に感じることもあるかもしれないよね」と

緩めに受け入れるのがポイントです。

カウンセリングや内省を通して自分と向き合うのは、時に大変つらい作業です。

でも、大丈夫です。

すべて、あなたの中にあるものですから、恐れる必要も、否定する必要もないんです。

1つ1つ、自分が過去に感じていた本当の気持ちを取り出してみましょう。

そして、しっかりとその自分の気持ちを見つめ、

「そういう風に感じることもあるよね」と、優しく魔法の言葉をかけてあげて、

またその感情を取り入れて、自分の中に再統合してあげましょう。

「自己一致」とはそういうことです。

余談。母に感謝!

余談ですが、手羽先を食べていて友人に馬鹿にされた話を母にしたときに

私の母は何と言ったと思いますか?

みっともないと言われたことに対して、一緒に怒ってくれたと思いますか?

「辛かったね」と、優しい共感の言葉をかけてくれたと思いますか?

違います。

「そんなの当たり前じゃん!恥ずかしいね!兄ちゃん達は、外で食べるときは貧乏くさいのが恥ずかしいからって、骨の部分は残してるよ。さすがあんたは食いしん坊やね!軟骨が一番美味しいもんね!」

と、笑い飛ばされました。

貧乏くさい、そして食いしん坊・・・。

どちらも事実であることを、しっかりと受け入れてくれたのです。

その時、私のイライラやモヤモヤは一瞬で晴れて、

二人で、「外ではカッコつけるなんて、我が家の男たちはほんとに内弁慶だね!」と、笑い合いました。

今思えば、母がそうやって受け止めてくれたことが、

「貧乏くさいことを認めていいんだ」「恥ずかしいと思った自分を認めていいんだ」という、

私自身の自己受容に繋がったんだと思います。

ちなみに兄たちがとっていた行動である

「本当は美味しいと知っているし、食べ物を粗末にしたくないから食べたいけど、恥ずかしいから外では食べない」というのは、

自己一致していない状態であったと言えます。

(・・・今更ですが、手羽先だと例えが大衆的過ぎて、なんだか陳腐になってしまいましたね。笑)

まずは自己不一致に気付くこと

「自己一致していない状態」のことを「自己不一致」と言いますが、

「他人の目なんて関係ねえ!」と、常にありのままの自分で振舞うことは難しいことかもしれません。

でも、自己一致していない自分に気付いた上で行動を選択しているのと、

気付かずに行動しているのは、大きな違いがありますので、そこは意識しておきましょう。

いつもお伝えしていますが、まずは自分を知ること、自分の気持ちに気付くこと。

これが最初の、そして最も重要な第一歩です。

私たちは日々、数えきれないほどの感情を抱えて毎日を過ごしています。

そういった感情はすべて、あなたにとって必要な感情です。

あなたに何かを訴えかけているのです。

その「何か」を知るための自分との対話、是非、習慣にしてくださいね。

最後に。

今日は自己一致という難しい概念を説明してみましたが、

そちらはサラリと流していただいても構いません。

なんとなく、「自分の本当の感情と言動が一致していない状態だと辛いんだな」と覚えておいてください。

今日覚えていただきたいフレーズは、ずばり魔法の言葉の方です。

「そういう見方もあるかもしれないね」と、自分にも他人にもすんなりと言えるようになれば、

あなたの生きづらさもグッと解消するはずですよ。

自分も相手も受け入れる魔法の言葉、あなたも是非使ってみてくださいね。

それでは、今日もここまで読んでくださりありがとうございました。

神田華子でした。