優しい人は損をする?あなたの優しさは誰のため?
「優しい人は損をする」「人に優しくしても利用されるだけ」
そのような言葉を聞いたことはないでしょうか。
「自分のことを犠牲にしてでも他人のために優しくしているつもりなのに、結局自分が損をした気分になったり、利用されているようで空回りばかり。人に優しくするって、疲れるな・・・」
もしもあなたがそんなふうに感じたことがあるのであれば、是非この記事を読み進めてほしいと思います。
今日は、私が思う「優しさ」についてのお話です。
優しい人ってどんな人?
そもそも、「優しさ」とはなんでしょうか。
辞書で調べると、「心温かく、思いやりがあること。または、おだやかでおとなしいこと。」と出てきます。
では、あなたは「優しい人」と聞いて、どんな人を思い浮かべますか?
人のために自分を犠牲にして何かをしてあげられる人?
温和な雰囲気で相手の話を聞いてあげられる人?
あなたがなりたい「優しい人」は、どんな人でしょうか?
それはきっと、自分を犠牲にして身も心もボロボロになってでも、他の人のために尽くしている人・・・ではないのではないでしょうか。
あなたが目指す「優しい人」とはどんな人なのか、まずはしっかり定義してみてくださいね。
どうして優しい人になりたいの?
では、どうして、誰のために、何のために、優しくなりたいと思っていますか?
親や先生に「人に優しくしなさい」と教えられたから?
それとも、誰かに優しくされたことがすごく印象に残っていて、自分もそんな風になりたいから?
あなたが人に優しくするとき、どんな気持ちなのでしょうか?
あなたは誰にでも無条件に優しくありたいと思っていますか?
「どうして目の前にいるこの人に優しくしたいと思うのか」について、しっかりと考えてみることは意外と重要です。
これは、どこにも答えはありませんので、あなた自身の中で答えを見つけてくださいね。
なぜ優しさは報われないの?
なぜ、あなたの優しさが報われないのでしょうか。
それは簡単で、優しさに優しさで返してくる人ばかりではないからです。
優しい人を都合の良い人と捉え、その人の優しさに対して、同じように優しさで返すのではなく、利用しようと考える人が、残念なことに世の中には、たくさんいるからです。
だから時に人は、「与えた優しさが報われなかった。損をしただけだった。」と、感じてしまうんですね。
それでは、その優しさは、相手からの見返りを求めているということになりますよね。
人間には通常、「何かをされたらお返しをしないといけない」という気持ちが自然沸き上がるものですから、反対に、相手からも何かしらのお返しを無意識に期待してしまうということは、おかしいことではありません。
「見返りを求める優しさなんて、本当の優しさじゃない。そんなあなたは本当に優しい人じゃない。」
いいえ、そんなことはないと思いますよ。
誰かのために何かをしたいと思えるあなたは、立派な優しい人だと思います。
誰かに優しくして、喜ばれたりお礼を言われたりお返しをされたり、それはもちろんとても嬉しいことですよね。
それが一切なかったら、ガッカリしてしまったり、むなしい気持ちになるのは当然だと思います。
でも、その優しさであなた自身は報われていますか?
あなた自身がどんな風に感じているかも、とても重要なことですので、そこは無視せずにしっかりと考えてくださいね。
優しさとは、究極的にはすべて自己満足のため。
では、あなたは、相手からまったく見返りがないとしても、誰かのために何かをしたいと思えますか?
思えるとしたら、それは、なぜでしょうか?
きっとそれは、「自分がそういう人間でいたいから」ということですよね?
実はそれが、とっても大切なことなんです。
あなたが誰かのために与えていると思っている優しさは、「誰かのため」ではなく、「自分のため」であるべきなのです。
自分が自分のために人に優しくしたのであれば、相手の反応に少しガッカリすることはあっても、
「損をした」「利用された」と思ったり、むなしさを引きずることは無いはずです。
「結果はこうなったけど、私は自分がこうありたいと思った行動をうつせたから、それでいいんだ」と思えるのです。
その大前提がズレてしまっているので、「優しくしたのに損をした、利用された」と感じてしまうのです。
自分のためという目的を達成できているのであれば、その時点であなたの優しさは報われているのです。
例えば、「相手に本当に成功して欲しいから、自分が正しいと思うアドバイスをする。」
そんなあなたはきっと優しい人です。
でも、相手が自分の言った通りの行動を起こさずにアドバイスを無視した時に、あなたが相手への怒りを覚えるのであれば、一度、「相手に優しくする目的」を頭の中で整理してください。
それは、相手のための優しさではありません。
「相手に成功して欲しいと思っている自分のための優しさ」なのです。
相手がアドバイスを求めてきたのだとしても、そのリクエストに応じる決断をしたのはあなたです。
どうしてその期待に応えようと思ったのか。
それは、優しい人だと見られたかったのかもしれないし、頼りになるキャラクターでいたかったのかもしれません。
いずれにせよ、人に優しくする目的は、いつも自分のためだと思うことが大切です。
相手に喜んで欲しい、、、と思っている自分のため。
相手により良い生活を送って欲しい、、、と思っている自分のため。
相手の仕事を楽にしてあげたい、、、と思っている自分のため。
人に対する優しさはすべてまわりまわれば自分のためという、優しさの目的をしっかりと認識してください。
もちろん、だからといって、優しさの押し売りにならないように、注意してくださいね。
優しくあるべきという嘘。
優しさは、他人に押し付けるものでもなければ、逆に強要されたり、押し付けられるものでもありません。
「人には優しくするべき」だと、思い過ぎなくて良いんです。
「私は優しい人になりたいんだ。だからあれもこれも、我慢しなきゃ。」
そんな風に自分に言い聞かせて、苦しい気持ちになっているのであれば、一度、自分を客観的に見てみてください。
どうしたら自分を客観的に見ることができるのでしょう?
方法の一つとして、カメラの映像のように、自分を一段上から、画面越しに見ているような感覚でイメージしてみてください。
ドラマを見ているような感覚で、あなたはそのドラマの中のキャラクターのひとりです。
そんな風に、自分自身と周りを遠くから見た時に、あなたはそのキャラクターを「優しい人」だと感じますか?
「自分の意見が言えずに弱々しく周りに翻弄されている可哀想なキャラクター」に見えていないでしょうか?
その時に見えたキャラクターが、あなたが思う「優しい人」に映らないのであれば、その優しさは誰のためにもなっていません。
そんなことは、やめてしまっていいんです。
最初に「優しさとは何か」と考えましたよね。
その時に、「本当の優しさとは、相手の言うことをなんでも聞いて自分を犠牲にしたり、イエスマンになることだ」と思った方は、いなかったのではと思います。
「優しい人でありたい」と思っているあなたは、十分優しい人です。
でも、それは他の人のためではなく、自分のためであることを受け入れて、忘れないでください。
人に何かをしてあげて喜ばれたり、お礼を言われたり、相手の状態が良くなるって、自分にとってすごく気持ち良いことですよね。
その自分自身のエゴや快感のために行動した結果として、「優しい人」と周りが評価したのであれば、それで十分なのではないでしょうか。
例え他の誰かに、「人のために何かしている自分に酔っているだけの偽善者だ」と思われたとしても、
結果的に、それで誰かが救われて、笑顔になれたんだとしたら、
それは十分に価値がある事だと思いませんか?
優しくすることで自分が苦しくなうような優しさならば、捨ててしまっていいんです。
「人には優しくしなくてはならない」という、社会や周りからの押し付けは、サラリと受け流してしまいましょう。
優しさの安売りはしなくて良い。
余談ですが、私が小学生の頃に大好きだった担任の先生が、いつも言っていました。
「勉強なんて出来なくても良いから、人の気持ちを考えられる優しい人になってください。」
私はその先生のことが大好きで、この言葉も大好きでした。
ある日、大人になってから幼い頃の思い出話をしていた時に、この先生の話をした時のことです。
その場にいた、とある経営者の方が言いました。
「そんな先生は無責任だね。勉強が出来なくても良いなんて、教師が言っちゃいけない。優しくなることよりも勉強が出来ることの方が、どう考えても社会に出て必要なことだろう。社会に出たら、優しさなんて利用されるだけだよ。」
それを聞いた時、私はとてもショックでした。
大好きな先生の言葉を否定されたことも悲しかったですし、「この社会では優しさには勉強ほどの価値は無い」と思っている人がいる、ということもショックでした。
でも、他人に優しくされると利用される、騙される、そういったことも確かにありえる、というのは、経験値として感じていた頃でした。
当時は、そんな風に腹の探り合いなような人間関係で、人に優しくすることすら躊躇ってしまう世の中って嫌だなーと思っていましたが、
この世界にこんなにたくさんの人がいる以上、色んな人がいろんな価値観と損得勘定で生きていますから、それも仕方のないことですね。
そのこと事態を嘆いても、何の役にも立ちません。
先程の発言をした経営者の方も、自分自身が様々な経験をされた上で、そういうお考えになったのだと思います。
私は今でもその方の発言に完全に同意はしませんが、その発言のおかげで、盲目的に「優しい人でいなければ」と思っていた自分が、現実を知った上でどうありたいかを、深く考えるきっかけになったと思います。
私は、やっぱり何度騙されても裏切られても、そのように弱くて自分勝手でずるい面も含めて、人間だと思っています。
だからこそ、そんな弱さの中で輝く、他人のために発揮される強さや優しさが、とても美しいなと思ったりもするんです。
私は、そんな風に、それぞれの世界を一生懸命生きている人間がやっぱり大好きだし、信じることをやめない自分でいたいんですね。
だから、困っている人がいたら助けたいし、力になれるのであれば力になりたいと思っています。
その気持ちは、自分がそうしたいという自己満足で十分だと思っています。
でも、同時に、そういう気持ちを安売りする必要は無いとも、今は思っています。
誰に対しても優しい人である必要は無い。
助けられない人がいてもいい。
自分がそうしたいから、という気持ちがなくなったら、やめてしまえばいい。
テイカーに対して、自分の心を犠牲にしてまで、ギバーであり続ける必要はないと思うのです。
相手を選んで優しくすることは本当の優しさではない、そう思いますか?
私はそんな風には思いません。
私も、あなたも、周りの誰だってただの一人の人間です。
自分に関わる人全員を助けることも、いつどこでも誰にでも、自分を犠牲にして接することは出来ないと思います。
優しく出来るときに優しくする。
自分を大事にしてくれている人を大事にする。
「この相手に何かしたあげたい」と思える相手にだけ優しくする。
それはすべて、そうしたいと思っている自分のためだから。
自分が都度、「優しくすることを決断」していれば、自分の決断に自分で責任が持てるようになります。
万が一裏切られたり騙されたりして傷つけられたとしても、「自分が相手を信じて優しくしようと決めたんだ」と、割り切れるようになります。
このように、割り切って受け入れるということは、自分を責めるということとは少し違いますので、注意してくださいね。
最後に。
今日は私の思う「優しさ」についてお話しました。
「人に優しくしないといけない」「優しい自分でいなければならない」という呪縛にとらわれて、苦しい思いをしている方のために書いたのですが、
なんだかモヤっとした感じになってしまった気がします。うまく伝わったかな・・・。
「優しい人」でいたいから苦しんでいるのに、実は「ただの都合のいい人」になっているだけだったとしたら、ちょっと悲しいですよね。
「優しい人でありたい」という抽象的な表現ではなく、自分が思う「優しい人」を具体的に表現した方が良いのかもしれません。
私は、「自分と他人の気持ちを考えて行動できる、思いやりのある人」でありたいなと思っています。
自分が「思いやりを持って接する」ことで、ほとんどの人はあなたにも「思いやりを持って接してくれる」ようになります。
そうでない人間関係に囲まれているのであれば、世界はもっと広くて優しい場所であるということを、思い出してほしいです。
あなたの周りの人間関係が、世界のすべてのスタンダードではありません。
傷付いた経験や裏切られた経験がどんなに色濃く記憶に残っていようとも、世界はとても広く、たくさんの人であふれています。
今や過去の延長線上に未来があるのではなく、点と点を繋いだ先が、結果的に未来になるのです。
あなたが一歩を踏み出せば、今いるところからは全く見えないところに、点が繋がるかもしれませんよ。
これを読んでいるあなたにとって、「優しくありたい」と思えるような人間関係が、これからもっともっと増えますように。
そうして、今よりも、もっともっと優しい未来に、繋がっていきますように。
神田華子でした。