大切な人を失った時に、ちゃんと悲しめていますか?悲哀のプロセスを知ろう。
大切な人を失うことは、私たちが生きている中で、最も悲しく辛い出来事かもしれません。
もちろんそれは、人だけではなくペットや大切にしている物であるかもしれません。
愛着を持った、自分にとって大切なものや人を失うという苦しみは、人生で避けては通れないものですが、私たちはその深い悲しみや喪失感を、どのように乗り越えていけば良いのでしょうか。
まさに今、深い悲しみを抱えて苦しんでいる方も、これから起こる悲痛な別れを予期できるステージにある方も、是非一緒に考えてみませんか。
今日は、別れの苦しみを乗り越えるためのヒントを模索している、そんな誰かにとって少しでも参考になればと思いながら、この記事を書いています。
自分の中にある深い悲しみを認め、きちんと悲しむことの大切さ。
私たちは誰も死に方を選べません。
必ずしも、大切な人と別れる前に、思う存分お別れが出来るとは限りません。
突然の衝撃的な現実を受け入れられないこともあるでしょう。
最後の瞬間がフラッシュバックすることもあるかもしれません。
それでも、生きている私たちは、その悲しみや喪失感、時には怒り、悔しさ等の感情を、乗り越えなければなりません。
その時に、絶対にスキップしてはいけないプロセスがあります。
それは、「きちんと悲しむ」ということです。
大事な人を失うことは、誰にとっても悲しいことです。
悲しみに暮れて当然なのです。
誰かを失って絶望のどん底にいるとき、それでも時間は進んでいます。
仕事や学校、子育てや介護。普段の慌ただしい生活に追われて、悲しむ暇もない方もいらっしゃるかもしれません。
そんな時に、無理に悲しみを押し殺して、平然を装ってしまったり、
「私がしっかりしなければ」と明るく振舞ったりしていては、
気付かないうちに心が疲弊し、何年も経って後々に、非常に大きな問題となって顕在化することもあります。
うつ病やパニック障害などの精神疾患を発症してしまうこともあるのです。
なので、悲しい時には、自分の深い悲しみを自分自身がきちんと受け止め、認めてあげましょう。
そのうえで、しっかりと悲しむということは、この悲しみを乗り越えるために、とても重要なプロセスなのです。
「悲しむ」ということは、人間としてごく普通のこと。
特に男性では、「男なんだから泣いてはいけない」と、本当は泣き叫びたいほど悲しく苦しい気持ちを、誰にも言えずに、弱音を吐けずに、一人で抱え込んでしまう方もいらっしゃいます。
でも、大人だって、親だって、男だって、誰だって、本当に悲しい時には涙を流して泣くということは、人間としてごく自然なことで、まったく恥ずべきことではないのです。
もちろん、人前で泣く必要はありません。
車の中で一人になったときに思いきり泣く。
トイレに駆け込んで泣く。
どんな方法でも、どんな場所でも良いです。
出来れば、声も押し殺さずに、思いっきり泣ける場所が見つけられると良いですね。
きちんと自分の悲しみを受け入れて、吐き出す時間を作りましょう。
自分の悲しみを客観的に認めること、そんな自分を受け入れることが、重要なのです。
フロイトの提唱した「悲哀の仕事」とは。
このように、大事な人や物を失った時の深い悲しみを乗り越えていく心理的過程を、「喪の仕事」または「悲哀の仕事」と呼んでいます。
死別の場合は「喪の仕事」、生別の場合は「悲哀の仕事」と区別することがあるため、今回はあえて、「悲哀の仕事」を使っています。
心理学者であり精神科医でもあったフロイトが提唱した理論で、英語では「Mourning Works」と呼びます。
英語のMournとは、嘆き悲しむという意味ですが、このプロセスはまさに、正しく悲しむことで別れの苦しみを乗り越える、という作業なのです。
このフロイトの理論をもとに様々な心理学者が理論を発展させ、その有名なものでボウルビィが4段階に分類したものがあるのですが、今回は更にシンプルに、3つのプロセスをご紹介しますね。
1.否認
2.絶望
3.受容と回復
この3つのプロセスを順番に正しく行うことで、私たちは別れの苦しみから離れ、別れた対象との新たな関係を築くことが出来るのです。
別れた対象との新たな関係というのは、例えばですが、「あの人はもういないけど、ずっと心の支えになっている」と自然に思えることや、「目には見えないけど、近くに感じられる」というような関係性のことです。
それぞれのプロセスは順を追って行いますが、時には、せっかく次のプロセスに進んだのにまた前のプロセスに戻ってしまったり、1つのプロセスに何年も留まってしまうこともあります。
それでも大丈夫です。
それぞれのプロセスに必要な時間は、人それぞれ違います。
それほど、私たちにとって、別れを本当の意味で乗り越えるというプロセスは、簡単なことではないのです。
そんな風に、前後のプロセスを行ったり来たりしながら、時間をかけても構いませんので、自分の中で揺れ動く気持ちを都度、受け入れながら、気持ちの整理を進めていきましょう。
それでは、それぞれのプロセスについてもっと詳しく見ていきましょう。
悲哀のプロセス①否認
大切な人を失った時、私たちはその事実をすぐには受け入れることが出来ません。
衝撃的な知らせに対し、「そんなのうそに決まってる」と、事実を受け入れることを否定したり、
「あの人がこんな目にあうなんて納得できない」と、やり場のない怒りや虚しさ、時には、「何もしてあげられなかった」という、後悔や罪悪感に苦しみます。
その人がもういないという事実を受け入れず、あたかもまだ存在しているかのように振舞うこともあります。
このステージを消化することを、否認プロセスといいます。
否認のプロセスから抜け出すには?
否認のプロセスで停滞してしまう方は、実はとても多いのです。
特に、突然の別れを体験した時には、誰しも直前までの穏やかな時間を思い出し、
「そんなはずはない」「なにかの間違いに決まっている」と、現実を拒んでしまうことがあるでしょう。
でも、次のプロセスに進むためには、まずは現実を現実として受け入れる必要があります。
受け入れがたい現実を直視するという作業は、とても辛い作業ですが、
これを乗り越えないと、いつまで経っても心は解放されません。
どんなに拒み続けても、現実は変わりません。
変わらない現実と、それを否定し続けている自分という、苦しい葛藤の世界で生き続けることは、徐々に心をむしばみ、気付いた時には、大きな心の病となっていることがあるのです。
気持ちの整理をするために、儀式にきちんと参加したり、関係の深い人たちと話をするということで、現実と向き合うことが出来ます。
ゆっくりでいいですからね。
やっぱり受け入れたくない、そう思う日もあってもいいんです。
でも、悲哀のプロセスを消化し、悲しみを乗り越えることは、今を生きる、残された私たちにとっての大切な課題です。
自分のペースで、現実と向き合う努力をしてみましょう。
悲哀のプロセス②絶望
否認のプロセスを経ると、やがて別れの現実に直面し、「あの人はもうここにはいないんだ」と実感がわいてきます。
実感がわいてくるタイミングは人それぞれです。
お通夜や告別式、火葬場。または、遺品の整理をしている時。
日常生活に戻り、いつもその人がいた場所に誰もいないことを見た時に、ようやく感じたりするかもしれません。
そういった場面で、現実を否定することがいよいよ出来なくなった時、
「あの人がいなくなって、私はこれからどうしたらいんだろう・・・」という絶望感に襲われます。
深い悲しみと共に、失意や孤独感にさいなまれ、もう自分はダメだと抑うつ状態に陥ったり、無気力になり、人との交流を避けて引きこもったりしてしまうこともあります。
希望が絶たれると書いて絶望。
とても辛いステージです。
これほど深い傷を自分は癒せるのだろうかと、苦しむ日々が続くことでしょう。
時間が解決してくれるという人もいますが、時間をかけるだけではなかなか回復できません。
また、ここで無理をして回復を装うことで、より深い傷となってしまうこともあります。
きちんと、自分は今絶望のステージにいること、このプロセスを経て次のステージにいくことで、この苦しみを乗り越えて、新しい生き方を見つけられるのだということを、認識してくださいね。
大丈夫です。
私たちはみんな、必ずこの絶望のステージから、抜け出すことができますからね。
絶望のプロセスから抜け出すには
否認から現実を受け入れたとしても、もちろん悲しみがなくなるわけではありません。
絶望のプロセスで、気持ちの整理がつかずに、長く留まってしまう人も多いです。
日常に忙殺されて自分の悲しみと向き合わないうちに、感覚が麻痺してしまうこともあります。
でもそれは、決して傷が癒えたわけではないのです。
気付かないように蓋をしているうちに傷口が深まってしまい、大きな心の病につながってしまうことがあるのです。
そうならないために、きちんと時間をかけて自分の悲しみと向き合いましょう。
最初にお伝えしたように、深い悲しみを感じて傷ついている自分を受け入れ、認め、悲しみ尽くすことが大切です。
泣きたいだけ泣いたり、誰かにその思いを吐き出したりして、大切な人を失った自分を感じ、いたわりましょう。
失った相手を知っている人や、あなたにとって心理的に近しい人に話を聞いてもらうことが難しい状況であれば、カウンセリングなどを利用するのも良いと思います。
カウンセラーには守秘義務がありますので、話しやすい雰囲気のカウンセラーが見つかったら、安心して思いのままを、お話されてくださいね。
「誰かに話してもあの人は戻ってこない。この辛く苦しい現実は変わらない。」
そんな風に思われる方もいらっしゃるかもしれません。
でも、誰かに話すということは、自分の気持ちの整理をするうえで、とても大切なことです。
誰かに伝えようと言葉にすることで、自分の気持ちに改めて気付けたり、納得できたりするものです。
自分の気持ちを掘り下げて表現するというのは、非常につらい作業になるかもしれませんが、
そうした気持ちと時間をかけて向き合うことで、少しずつ少しずつ、次のステージへと進めるのです。
悲哀のプロセス③受容と回復
非常に苦しい絶望のプロセスで、自分の気持ちとしっかりと向きあい、悲しみを共有することで、徐々にその状態を受け入れられるようになります。
失ったという事実を肯定的に捉えられるようになり、新しい環境に目を向けられるようになります。
気持ちの整理の付け方は、人それぞれでしょう。
「あの人はもういないけど、私はあの人の分まで幸せになろう」
「別れは辛いけど、出会えたことに意味があったと前向きに生きていこう」
「私がいつまでも悲しんでいたら、あの人もきっと悲しんでしまうから、笑おう。」
このような、前向きな気持ちが自然と沸き上がってきます。
大事なのは、決して無理に回復を偽ることなく、心の底からそう思えることです。
もちろん、悲しみが完全に消えるわけでもなく、大切な人を失ってしまった喪失感がなくなるわけでもありません。
時には懐かしさがこみ上げ、涙することもあるかもしれません。
それでも、絶望のステージとは違いすがすがしい気持ちを感じ、
以前のような日常生活を取り戻し、精神状態が回復していくステージです。
大切な人を失うことは大きな試練。でも、必ず乗り越えられます。
大切な誰かを失うということは、自分自身にとっての大きな試練となります。
あなたにとってその人が大切であればあるほど、苦しい課題となります。
でも、その別れの悲しみを乗り越える強さと柔軟性も、私たち人間は誰しもが持っているのです。
そのための、正しいプロセスをきちんと踏むことが重要なのです。
悲しんでいいのです。怒ってもいいのです。自分を責めてしまっても良いのです。
すべて、人間として普通の感情です。
周りの心ない人の言葉に傷つけられたり、焦ってしまうこともあるかもしれません。
でも、あなたの苦しみはあなた自身が一番わかっているのです。
隠す必要も、強がる必要も、ありません。
自分自身の気持ちを見つめることから目を背けず、勇気を出して受け入れてみてください。
そうして失った人を思い出し、いろいろな感情をもって懐かしむことで、自分にとってどれほど大切なものだったのかを再認識し、また絶望する・・・その繰り返しかもしれません。
でも、そういった心理的プロセスを経ることでしか、私たちは大切な人との別れを乗り越えられないのです。
最後に。
悲哀の3つのプロセス、いかがだったでしょうか。
受容・回復のプロセスに至るまでの時間は人それぞれですが、
親や配偶者であれば数年、我が子であればより長い時間がかかってしまうこともあると言われています。
「二度と立ち直れない」と思う日々が続くかもしれませんが、焦らずに自分の気持ちと向き合い続けることで、
いつか必ず立ち直れます。
必ず、その苦しみから抜け出せます。
少しずつ、光が見えてくるその日を、信じてくださいね。
私は、そんな風に大切に思える誰かが人生の中でいたということ自体が、素晴らしいことだと思います。
始まりがあれば終わりがあるように、出会いがあれば別れがあります。
その人と共有してきた喜びや幸せが大きいほど、失った時の悲しみは大きいものですが、
その悲しみを避けて、喜びも悲しみも最小限という人生を、終わりを待つように生きるよりも、
荒波を航海するように、人と出会い、関わっていくということが
私たちの人生をより豊かにし、私たちをより強くしていくのではないでしょうか。
そうして、ひとつでも多くのかけがえのない存在や思い出を心の中に集めていくこと、それが、生きていくことなのかなと思ます。
私たちは誰も、自分の意思で生まれてきたわけではないですが、
自分の意思で、1度きりの人生を生きていきたいですね。
誰かとの別れを乗り越えるというのは、新しい自分と出会うことなのかもしれません。
もし、今あなたがそのプロセスの最中にいるのであれば、
その先に、あなたにとってもっともっと優しい世界が、広がっていますように。
きっと、大丈夫です。
ここまで読んでくださってありがとうございました。
神田華子でした。