HSPにも通じる『共感性羞恥心』とは?原因と対策を説明します!
共感性羞恥心という言葉を聞いたことがある方も増えてきたかもしれません。
今日はこの共感性羞恥というものが一体どういうものなのか、
どうしてこのような現象が起こるのか、そしてその対策についてお伝えしたいと思います。
共感性羞恥心とはどんなもの?
簡単に言うと、他人が感じている恥ずかしさを自分のことのように恥ずかしく感じてしまうことです。
例えば、同僚がみんなの前で怒られているときに
自分まで恥ずかしい気持ちになってその場にいられなくなってしまったり、
テレビのドッキリ企画やドラマの中で恥をかかされている人を見ると
まるで自分のことのように恥ずかしく感じいたたまれなくなって、
それ以上見ていられなくなったりすることです。
私もスベッているお笑い芸人を見るのがとても苦痛なため、
昔からコントやM1グランプリなどを見るのがとても苦手で、
若手芸人が多いアメトークなどもほとんど見ていませんでしたが、
この共感性羞恥について初めて知った時に、こういうことだったのかと大変感心したのを覚えています。
そして、程度の差こそあるものの、同じように感じる人が意外と多いことにも驚きました。
現実世界で私の周りに同じように感じている人は今までいなかったので
やはり自分の周りの世界というのは、すごく限定的で限られた世界なんだなとも実感しました。
インターネットでより広い範囲で様々な人と繋がれるようになったというのは、そういう意味でも素晴らしいですね。
共感性羞恥心の原因は?
人間の脳というのは人体の小宇宙と言われるほど不思議なもので、
脳科学の研究というのはまだまだこれからという段階です。
共感性羞恥が起こる原因についてもハッキリと解明されていないようで、
人間の情動(感情)を司る偏桃体が反応しているだとか、
共感を感じる脳内神経細胞であるミラーニューロンが人より活発だとか、
実際に痛みと感じている部分と同じ部分が反応しているとか、
はたまた違う部分が反応しているだとか
脳科学的には調べると色々な説が見つかりますが、
どれが本当かという脳の仕組みについては、私には分かりません。
ただ、心理学的には下記の要因が挙げられると思います。
自他境界線の薄さ
自他境界線とは、「自分以外のものはすべて、自分とは別物である」という感覚のことで、
言わば、「よそはよそ!うちはうち!」の感覚のことですね。
自分と他人の境界線が薄い人、つまり自分のことと他人のことを、
同じように考えてしまう人は、
他人の痛みを自分のことのように感じてしまうため
共感性羞恥心も高いと考えられます。
他人のことを自分のことのように受け取ってしまい、
相手の痛みや苦しみを想像し、勝手に苦しくなってしまうんですね。
これは性格ではなく思考の癖ですが、
自分のことと他人のことを区別できない人は、意外と多いんですよ。
自意識の過剰
他者が恥ずかしい思いをしているのが恥ずかしいという気持ちがある方は、
当然ですが自分が恥ずかしい場面でも耐えられません。
他人の視線を過度に気にしたり、自分が注目されているという自意識が過剰な人は、
結果として共感性羞恥心も高くなってしまう傾向にあります。
過去の失敗やトラウマが原因となっていることもありますが、
「自分は人から見られている、失敗したくない、失敗したら笑われるにきまってる、馬鹿にされたくない」
というように、自分自身への羞恥心も高いため、
他人に対しても、
どうしてあんな恥ずかしいことが出来るんだろう、自分だったら耐えられない、と思ってしまうんですね。
繊細さん・HSPさん
感性が繊細な人は、他人の気持ちに対しても敏感ですから
他人が感じていることを自分が感じていることのように感じてしまいます。
様々なことに対して感性が過敏なHSPさんは
感受性が高く共感力も高くその分些細なことを気にしたり傷つきやすいという特性から、
他人の痛みにも敏感に反応してしまうのです。
対策方法はあるの?
共感性羞恥心が高いとうのは、うつ病や不安障害等といった精神疾患ではないため、
日常生活に支障が出ているわけでないのであれば、
「自分は人の痛みを感じやすいタイプなんだな」と軽く捉えて、
そういった場面を避けるだけで、特に対策を練る必要も、克服を焦る必要もないものです。
しかし、そのことで生きづらさを感じていたり、
自分のこの性質を改善したいと思っているのであれば、下記のことを意識してみましょう。
自分と他人は違うことを常に認識する
共感性羞恥心とは、「共感」と名がつくものの、実際に共感しているとは限りません。
「共感」とは、辞書で引くと「他人の意見や感情などにその通りだと感じること」とありますが、
共感性羞恥心を感じる場面というのは、必ずしも相手の気持ちに共感し寄り添っているわけではなく、
「自分の主観で相手の反応を想像し、勝手に恥ずかしがっている」という、
きわめて一方的な状態と言えます。
ドッキリを仕掛けられて、「やだーもう恥ずかしい~!」と笑いながら、
実際には本人は面白がっていて、さほど恥ずかしいとは思っていないケースでも
「こんなことされたら、私だったらその場にいられない!」というように、
自分の感覚を基準に相手の気持ちを判断してしまっています。
このことから、「共感性羞恥」ではなく、「観察者羞恥」と呼ぶべきだと唱えている心理学者もいます。
必ずしも共感しているわけではなく、見ている方が勝手に恥ずかしさを感じているものなので、
本来は、後者の方が適切なネーミングであると言えますよね。
自分と他人は違うんだ、自分が感じているように他人は感じているとは限らないんだということを
何度も自分に言い聞かせる必要があります。
自他境界線を意識する
1つ目のポイントとも似ていますが、他人のことは他人のこと、自分のことではないということをハッキリと意識する、
自分と他人との境界線をしっかりと引くことも大切です。
「他人が恥ずかしい思いをしても自分には関係ない」
「私が責任を感じる話ではない」と認識することです。
アドラー心理学でいうところの「課題の分離」です。
あなたが相手を思ってどんなに恥ずかしさを感じても、
その行為を行っている・または受けているのは相手であり、
その結果や責任を負うのは、あなたではなく相手です。
相手が責任を負うべき領域に、あなたが入る義務も権利もないのです。
自分は自分の課題に集中しましょう。
自分の課題とは、自分が影響を及ぼすことが出来る範囲、
最終的にその結果を受け入れ責任を受けるのが自分である事象のことです。
他人と自分の境界線が薄いというのは、性格ではなく思考の癖であり、
これまでの人間関係やストレスが原因となっていることが多いです。
意識することやトレーニングで境界線を濃くすることが出来ますので、
自分はこういう性格だからとあきらめずに、常に「これは誰の課題?」と、自分に問いかけてください。
そして、「他人のことを気にしすぎて自分を消耗する人生は損である」ということを認識してください。
どうせ神経をすり減らすのであれば、せめて自分のことで悩みましょう。
あなたがどんなに相手のことを気にしても、
所詮あなたは相手の人生を代わりに生きることもできなければ
相手の問題を解決したり、恥ずかしさを解消してあげることは出来ないのです。
過去の失敗やトラウマを受け流す
過去の失敗によるトラウマや、他人の目に振り回されてしまう人はとても多いので、
これは難しいと感じる方も多いかもしれませんが、これに関しても自分の意識付けで改善できるものです。
過去の失敗で恥ずかしい経験をしたとしても
それが繰り返されるとは限りません。
「あんなこと思い出したくもない」と、自分の気持ちに蓋をするのではなく、
「あの時は恥ずかしかったよな~」と、笑い話にするくらいの気持ちで
オープンに受け入れましょう。
今まで拒絶していたものを受け入れる時というのは、
最初が一番難しいのですが、
人間というのは慣れに強いものです。
一度恥ずかしさを受け入れると、不思議とだんだん慣れて来て、
「将来の話のネタになるか」くらいに思えてくるものです。
恥ずかしさに慣れる
あえて自分が恥ずかしいと感じることをやってみるというのも効果があります。
自分にとって、ちょっとだけ恥ずかしいことをしてみましょう。
例えば、知らない人に道を聞く、
すっぴんでコンビニに行く、など、
自分にとっては恥ずかしいことだけど、頑張れば出来そう、
ということを1つずつ実行して、
恥ずかしさに慣れる経験を積み重ねましょう。
認知行動療法の『暴露療法』や、森田療法の『恐怖突入』と同じ考え方ですね。
他人は意外と自分を見ていないなということにも気づく機会になるでしょう。
他人の気持ちに寄り添える優しい人
共感性羞恥心の高い人というのは、
他人の気持ちに寄り添える優しい人であるといえますし、
その共感性を活かして、良い人間関係や仕事に活かせることもあるでしょう。
しかし、そのために他人に対して否定的になったり、
「恥をかかせてくる人が許せない」と、
自分に関係のないところでも他人を攻撃したくなるような感情が出てくる場合は
「これは誰の課題なのか?」と自分に問いかけた上で、
「自分は確かにこのように感じてはいるが、
そこに踏み込んで相手をコントロールしようとするのは、
他者の領域に踏み込む、傲慢な行為であり
自分にその権利は無いんだ」、ということを思い出しましょう。
最後に。
すべての人間はもれなく、自分のことに一番関心があるのです。
自分がどう見られているかを一番気にしているものです。
あなたの顔を気にしているのはあなただけ、という言葉があります。
人は意外と、あなたのことに興味がありません。
なので、他人のことを気にしすぎるというのは、
自分の人生においては損でしかないのです。
あなたはあなたの人生にとってベストなことだけ選んで生きていきませんか。
他人のために勝手に自分が恥ずかしい気持ちになり、
それが原因で生きづらくなるというのは
特に相手のためにもなっていない上に、
自分にとってだけは大きな損になっている。
それってなんだか不毛で、むなしくて、悔しいことですよね。
今日、対策方法として意識してほしいとご紹介した内容は、
共感性羞恥心が高い方だけでなく、
すべての人が人間関係をストレスフリーに過ごすためにとっても重要な考え方ですので、
是非、何度も何度も自分に言い聞かせて、
そして意識して行動にうつしてくださいね。
自分の人生のとって、その時その時に、
自分の気持ちが一番スッキリする選択をしていきましょう。
あなたは何にも縛られていないのです。
自分の思い込みで自分を縛っているだけなのです。
そんな自分から解放された時、
あなたの世界はもっと自由で、もっと気楽に息が出来る
心地よいものに変わっていくはずですよ。
すべてに正面からぶつかる必要はありませんから、
避けられるものは避ければ大丈夫。
でも、避けられないものは、自分の受け止め方を変える、
変える能力があなたにはしっかり備わっている。
そのことを、決して忘れないでくださいね。
神田華子でした。
【参考記事】
共感性羞恥心については、こちらの記事でも触れていますので、未読の方は是非ご参考ください。
また、HSPさんへの私の思いとお願いをこちらにまとめています。
なんとなく人生を諦めている・・・という方に是非届いてほしいと思います。
いつも読んでくださってありがとうございます!^^