自分は本当にダメな人間で生きている価値がない?そんな嘘を絶対口にしないでください!
「自分は本当にダメな人間で、生きている価値がない。」
「みんなが出来ている当たり前のことが普通に出来ない、ダメな人間だ。」
この文章に含まれている『嘘』に、あなたは気付けていますか?
もしも、ご自身のことを、そんなふうに思っている方がいたら、
そんな方にこそ、読んでいただきたい記事です。
どこに真実がありますか?
自分は本当にダメな人間で、生きている価値がない。
この文章には、嘘が含まれているどころか、嘘しかないんです。
事実がまったく含まれていないということに、気付けますか?
「自分が本当にダメな人間?」
それは、誰が決めたんですか?
ダメって、何ですか?どういうことですか?
「生きている価値がない?」
誰がそれを判断したんですか?
その人に、それを決める能力や権利がありますか?
「自分がダメな人間で生きている価値がない」
こんなの、まったくのデタラメでしかない文章です。
こんなふうに、私たちが日々使っている、または耳にするような、色々な文章には、
事実が、ほとんどどころか、まったく含まれていないということは多いんです。
「私は、皆がやってる普通のこともこなせない、何もできない人間だ。」
皆がやってるって、証拠はありますか?
皆って、誰のことでしょう?
普通のことって何でしょう?
何をもってそれを『普通』と断言できますか?
誰が決めたんですか?
「何も出来ない」?
そんなわけはありません。
こうしてインターネットを検索して、
文章を読んでいますね。
そのような言葉を、発したり考えていますね。
このような言葉は、事実なんて1つもない、嘘だらけの言葉なんです!!
事実と解釈を分けることの重要さ
ここまで読んでみて、
単に、まるで揚げ足を取っているだけのように聞こえる、
言葉の些細なニュアンスを切り取ってイチャモンをつけているように感じる、
そんなふうに思う人もいるかもしれません。
でも、それほどこれらの文章には、信ぴょう性が全くないんですよ。
事実と解釈は全く違うものです。
例えば、資料のコピーをとるのに失敗した。
それは、事実として起こったことだとしましょう。
でも、「コピーを取るなんて誰にでも出来る仕事さえ、まともに出来ない私は本当に使えないやつだ」
こんな風にあなたが思ったとしたら、
または、誰かに言われたとしたら、
これは、あなた、またはその誰かの、単なる解釈です。
まったく、事実ではありません。
違いが分かりますか?
何が事実で、何が解釈か。
この、事実として述べられている部分と、
解釈として説明されている部分を、
しっかりと見極める、その意識を持つことが必要です。
事実と解釈を混同しやすいアダルトチルドレン
アダルトチルドレンという言葉を聞いたことがありますか。
機能不全家庭、つまり、
子供が子供らしくいられない、
安心できない家庭環境で、
自分の行動や感情を抑圧しながら育って、
そのまま大人になってしまった人のことを、
昨今では、そんな風に呼ぶことがあるようです。
幼少期に家庭内で子供らしく過ごせずにトラウマをかかえた方たちが、
大人になってからも、様々なところでその影響を受け、生きづらさを抱えていることに焦点を当てた言葉です。
同じく、毒親という言葉も耳にしたことがあると思います。
子供の毒になる親、という意味ですね。
虐待やネグレクトなど、明らかに毒になるような場合だけでなく、
親が子供に執着し過ぎていたり、
子供をまるで自分の物のように介入してコントロールしようとしてきていたり、
過度な躾など厳しい親に対しても、
毒親という言葉は使われています。
(ちなみに私はこの『毒親』という表現が、
実はあまり好きではないのですが、
それについては別記事でお話したいと思っています。)
こういった、アダルトチルドレンや毒親育ちの方というのは、
幼少期から自分を否定する言葉を大量に浴びてきたり、
親に反抗することを許されず、
親が絶対的に正しいと思い込んで育ってきたため、
事実と解釈を混同しやすいのです。
では、どうしたら良いの?
とはいえ、育ってきた家庭や、幼少期のトラウマなんて、変えられないものですよね。
でも、大丈夫です。
これを読んでいるということは、あなたは自分の意思と自分の力でインターネット検索し、
文字を読んで理解するということまでは、少なくとも出来る年齢になっているといことですね。
どんなにこれまで親の影響や家庭の影響、幼少期のトラウマがあろうとも、
これからしっかりと、自分で自分の道を、切り開けます。
そのために、どうしたら良いか。
まずは、自分で言う言葉でも、他人が発する言葉でも、
その内容が事実なのか、解釈なのか、まずは、しっかりと意識してみましょう。
事実と解釈を、しっかりと分けましょう。
そして、誰かの解釈でしかない部分は、きちんと切り離して考えましょう。
例えば、「友達からLINEを既読スルーされた。私のことを嫌っているんだ。」
こんな考えが、頭をよぎったとします。
そんな時に、こう考えます。
「LINEの返事が、今の時点で返ってきていないのは、事実だ。
でも、それが既読スルーであるという部分と、
自分が嫌われている、という部分は、私の解釈だ。」
まずは、このようにきちんと、何が本当で何が本当では無い(嘘)なのか、自分で認識することが大切です。
解釈は多様
その上で、解釈の部分は人によって解釈が違うもの、
たくさんの解釈の可能性があるということを想像してみます。
先程のLINEの件であれば、
「友達は忙しかったのかもしれない」
「返そうと思って忘れていたのかもしれない」
「ケータイが壊れたのかもしれない」
そんな風に、解釈の部分には他の可能性が余白として残っているというところに目を向けた上で、
自分以外の領域は、決してコントロール出来ないということを思い出しましょう。
他人がどう考えているか、知ることはできません。
他人にどう動いて欲しいか、望むことはできません。
私たち自身の世界というのは、自分の解釈というメガネによって見えています。
自分が世界に対し、どのような解釈をするか、意味付けをするかというのは選ぶことが出来ます。
そのためにはまず、何が事実で、何が解釈なのか、
しっかりと分別できるようになることが第一歩なのです。
言葉を大切にする
最後に、頭の中で唱える言葉であっても、声に出して誰かに伝える言葉であっても、
自分の言葉というものを意識して、気を付けましょう。
まず、冒頭にあげたような嘘だらけの言葉は、絶対に自分では言わないで欲しいんです。
自分はダメ、出来ない奴、存在する価値がない。
こんな言葉ですね。
私たちが、世界で1番、誰の言葉よりも多く聞いているのが、
自分自身の言葉です。
ボンヤリとネガティブな言葉で自分を責めるのではなく、
具体的な言葉で、事実をベースに、フィードバックをするようにしましょう。
「私は資料のコピーを失敗した」(事実)
「それは、紙のサイズをしっかり確認しなかったからだ」(事実)
そうして解釈の部分を省いた形で事実を確認し、
「私はもっと上手にコピーが取れるようになりたい。」
このように、具体的に理想とする状態や希望を確認し、
「これからは、印刷ボタンを押す前に、しっかりと用紙のサイズと向きを確認しよう!」
このように、具体的に取れる行動に言い替えてみましょう。
それでもダメな時は?
どんなに気を付けいても、長い間染み付いた自己否定や自分を責める癖は、なかなかかわりませんよね。
でも大丈夫、意識することから始まります。
分かっているのについつい自分を責めちゃう、否定しちゃう、という方は、
「かもしれない。でも、~じゃないかもしれない。」で言い換えてみてください。
「私は本当にダメな人間だ」
こんなことはもう本当に、絶対に、言わないで欲しいんですけど、
つい、言ってしまったり思ってしまったら、
「ダメな自分って言わないように気を付けてるのに、また言っちゃった!やっぱり私ってダメだ……」
と、負のループに自らハマりにいくのではなく、
「かもしれない、じゃないかもしれない」作戦に切り替えてください。
「私は本当にダメな人間だ。
そうかもしれない。
でも、そうじゃないかもしれない。
自分は本当は、ダメなんかじゃないかもしれない。
自分って本当は、自分で思っているよりも、
頑張っていて、悩んでいて、人間らしくて素敵な人間かもしれない。」
こんな感じですね。
これなら、出来そうじゃないですか?
脳は、あなたが出した情報をもとに、それを事実として捉えるための補足情報を探します。
自分に関するネガティブな言葉をポジティブな言葉に変えると、
自動的にその理由を探そうと動き始めてくれます。
そんな習慣を続けていけば、あなたが自分にかける言葉が少しづつ変わっていくはずですよ。
是非、意識してみてくださいね。(*^^*)
最後に
言葉というのは習慣です。
言葉に気を付けると習慣が変わり、
思考が変わり、人生が変わっていきます。
今日この記事をここまで読んでくださったのは、何かのご縁だと思います。
自分の胸に手を当てて、聞いてみてください。
いつも、自分で自分にどんな声をかけていますか?
最も頻繁に、最も長い時間で最も多く聞いている、そして決して逃げられない自分の言葉を
意識してみてくださいね。
事実と解釈を分ける。
この記事が、どこかであなたのお役に立てれば嬉しいです。
最後まで読んでくださりありがとうございました。
神田華子でした。
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